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わずか1週間足らずで正月に追証の取り立てから始まり、連続した金のストップ高で全ての資金を失った2005年の始まりだった。

私はこうした一連の商品先物ブローカーの口車営業スタイルに素朴な疑問?を持ち始めていた。
次々と手変え品を変えて商品先物を売買させる手口について段々と不信が芽生えていったのだ。
確かに彼らは専門家であり何十年もその道に精通しているかも知れない。
どういった商品が上がりそうだとか?下がりそうだとか言ったことに関しては私よりも目利きなのかもしれない。
しかし彼らの目的は往復の手数料でしかないのではないか?
本当に顧客に儲けさせて、自分たちもその売買手数料という恩恵に肖るウィンウィンの関係を作ろうとしているのであろうか?
未来のことなど結局だれにもわからないのだから、私と専門知識を持つ彼らの未来予想の当たりはずれは五分五分なのではないか?
いや違う!?その営業の目的は彼らにとっては私が商品先物取引で儲かろうが損をしようが何の関係もなく、全くの痛みも感じないところで派生する売買手数料だけを目的に営業しているのではないだろうか?
ニュースでは様々なファンダメンタル的な情報が溢れている。
確かに私は専門知識やファンダメンタルに弱い。
彼らはそうした商品先物に関連するネタを元に単に無知な顧客に情報を提供して売買させて手数料=自分の成績を上げることにしか興味がないのではないのか?
彼らは自分自身の生活の為に顧客に様々な商品先物取引の売買を強引に進めているのではないか?
会社のノルマや上司からのプレッシャーで仕方なく強引な仕事をして顧客が時には儲かり時には大損したり破産したりしているのでは?
これは株式やFXの世界でも共通していて、証券会社の営業マンの関心は顧客が得をすることではなく、顧客ができるだけ大金で株や債券や商品先物を売買することではないだろうか?
私は連日の出来事でそういう疑問から一定の結論を導き出し、ブローカーの営業と縁を切る決意をした。
折しも2005年ごろの商品先物を取り扱うブローカーは先進的に個人投資家が自分の裁量判断でインターネットで自由に売買できる環境が整いつつあった。
チャートは決して充実しているわけではなかったが、1秒おきに自動更新するような代物で、1秒間が待てなくて私はチャートを見ている間中更新ボタンをカチカチと押しながら手動でローソク足が変化している様子を見ながら自分でネットから商品先物を取引するいわゆるデイトレーダーのようなスタイルになっていった。
話は変わるが自分はどうして20年も前の話を今になって急に書き留めるようになったのかというと、嫁や子供に記録として残しておこうと考えたからだ。
もう一つはこの話の結末には私が商品先物からFXに転向して裁量トレードからEAトレードに転向して、最終的にEAをデザインするに至った経緯を書いておこうと考えたからだ。
その先に何があるかというと、結局最強トレードはEAやインジケーターを使用した半裁量トレードではないかと現時点では結論付けている。
その証明の為に自作のEAとインジケーターを使用した半裁量トレード=2刀流トレーダーという新たなジャンルを構築したい、伝承したいと考えている。
現代にも多くの2刀流は存在しているのかもしれないがあまり表に出てこないし、これを体系立てた教育=教室としてマーケティングしている人は見かけたことが無い。
つまり現時点ではまだまだ2刀流のトレーダは少ないようだ。
昔話をして読者が面白がるか?つまらないと感じるかはわからないが、私がEAデザイナーとして自己アイデンティティを感じ始めた今だからこそ、どうしてそういう人生になったのかの歴史を残しておいた方が良いのではないかと考えている。
先に話した家族や自分自身のためももちろんあるが、この先の未来に出会う多くの2刀流トレーダーのためにもここに至るまでのストーリーは必要かと。

さて話を戻して、私は商品先物を取り扱うブローカーたちの電話営業を無視して、インターネットでアカウントを作成し、自分の意志で自分の好きなタイミングにエントリーをし決済をするスタイルに変わっていったのだが、結局それでも直ぐに勝てるようになったわけではなかったのだ。
自分の裁量でローソク足チャートを見ながら自由にいつでもエントリーができることが実は最大のリスクであることに気がつくはずもなく、私は自由にエントリーと決済できるようになったことは最大のメリットであると勘違いしていたのだ。
20年経た今はいろいろな間違いもある程度判別できるようになってきたがホントに無知を極めていた時代をこうして振り返るとなんと愚かなことを繰り返していたのだろうかと我ながら呆れかえる始末である。
何がリスクだったのかというと機会の増大であったのだ。
相場に入る機会が増えるということは飛んで火にいる初の虫なのだ。
チャンスと思って、光に向かって飛んでいく虫のように実は自分自身を焼き焦がす危険な光であることを知る由もなく飛び込んでしまうのだ。
その当時の私はインジケーターも統計学としてのリスクリワードや勝率やエントリータイミングのことについてあまりにも知らな過ぎたのだ。
エントリーすればするほど損失の機会が増え続けていくなんて想像もしなかったが、自由に裁量でネット売買できる環境が私の想像していた利益確定のチャンスどころか、損切りの機会の増大でしかなかったことはかなりの損失を確定し続けた数十年後に気が付くことになる。
日々に湯水にようにお金が消えていく姿を見せつけられながら、必ずいつか勝てる!という根拠なき希望や自信だけを頼りの負の連鎖の旅は続いていくのだった。

こうして自分の好きなタイミングに好きなだけいくらでもエントリーできる環境になったことでますます傷口をかなり大きく開く結果になって行ったのだ。
そして災いは思わぬことろにも及んでいくことになる。
それは商品先物トレーダー気取りで毎日本業の合間にチャートばかり見ている間にだんだん本業はおろそかになっていった。
ポジションを持ったが最後、上がるか下がるか?利確か損切りか?それ以外のことに全く興味がなくなってしまったのだ。
まさに負の連鎖の真っただ中にあった。
しかし当時の私はそんなことは夢にも思わず無我夢中で商品先物とトレーダーへの地獄へと繋がる道を真っ逆さまに落ちていくことになった。
当時の私の夢は商品先物トレーダーとして大成功し、本業の1億円の借金もあっという間に支払えるだろうと馬鹿な夢を見続けていた。
あった言う間に100万円が儲かったり、あっという間に200万円損切りしたりしたということは、逆も真であっという間に1千万~1億円が手に入りそうな可能性を感じていたのだ。
そう思える魔力が相場にあったということだろう。
今となっては確かに可能性はあったと思うが、この負の連鎖の渦中にあるときに、負の連鎖がなぜ続いていくのか?
どうしたら負の連鎖から抜け出せるのか?それはわからないからこそ負の連鎖の中で何十年もこの先に苦しむことになるのだった。
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